2月19日(金)日本3

 私たちが住んでいるこの国は,いつなぜ日本という国号になったのでしょうか。国号とは国の名前のことです。

 

 それを知る手がかりとなるものは中国の歴史書です。中国の後漢の歴史を記した「後漢書(ごかんじょ)」に初めて「倭()」という名で日本は登場しました。その後の「三国志」の中に,卑弥呼について書かれた『魏志』倭人伝というものがありますが,そのタイトルにみられるように,私たちの国は「倭」と呼ばれていたことが分かります。

 中国が唐の時代に入ると,唐の歴史を記した「唐書(とうじょ)」に初めて「日本(やまと)」という言葉が使われています。これは,702年,遣唐使が中国に渡った時,「日本国から使者」と名乗り,国号の変更を申し出て,当時の皇帝がそれを認めたことで,「倭」という呼び方から「日本」に変わったようです。

 

 「唐書」には新旧種類ありますが,「旧唐書」の該当する箇所を紹介します。

 「日本国は,倭国の別種なり。その国日辺(にっぺん)に在るを以ての故に,日本を以て名となす。あるいは曰く,倭国自らその名の雅(みやび)ならざるを悪(にく)み,改めて日本となす」とあります。

 日辺とは,日の辺りと書いて日の近くを意味しています。それは「日()(いず)る処(ところ)」すなわち「日の本(ひのもと)」の由来となっている言葉で,だから日本とするんだよ。

 それと,倭という国名が「雅ならざるを悪み」とありますが,にんべんに委ねると書く「倭」という漢字は従順・小さい人という意味をもつため,嫌な感じだから日本と変えたんだよ。と書いてありました。

 

 という訳で,日本では701年に作られた大宝律令(たいほうりつりょう)に「日本」という文字がでてきますが,日本の歴史書である「古事記」には「倭」が使われ,「日本書紀」には「日本」の文字が使われたりで,はっきりしきせん。しかし,中国の歴史書の記載も含めてみると,

 「日本」という国号は700年前後には使われるようになったと考えられます。

 

 また,日本の統一は大和朝廷によるものでしたから,自然に「やまと」が国家の名前になって「倭」という字を「やまと」と呼ぶようになりました。やがて,「倭」から「日本」と国号の変更が中国に認められると「日本」と書いても「やまと」と読むようになったのです。

 「やまと」が「にほん」「にっぽん」と音読みになっていったのは鎌倉時代以降のようです。