緑の葉っぱなのに青葉,緑色なのに青信号というように,日本では緑色を青色の一部として扱っている言葉があります。それは,昔の日本では,今のように特定の色を表す言葉がなくて,「明るさ」と「濃さ」だけで色をとらえていたことに由来します。
明るさとは,「明るい」と「暗い」,濃さとははっきりしているという意味の「著し(しろし・しるし)」と「淡い」です。
この光の感覚を明暗と濃淡で表した言葉が,時代とともに色彩を表す言葉,「明るい」は赤,「暗い」は黒,「著し」は白,「淡い」はそれ以外のはっきりしない曖昧な色として青という色彩を表す言葉になったと考えられています。つまり,かつての日本で使われていた色は「赤」,「青」,「黒」,「白」の4色だったということです。
この説が有力な理由に,色を表す言葉で形容詞として使えるのが,この4色だけということがあります。「赤いリンゴ」「黒い髪」「白い砂」「青い海」…。「黄色い」とか「茶色い」は色をつけなければ使えませんし,「緑の」というように他の色は「の」をつけなければ使えません。
他に,「赤々と」「黒々と」「白々と」「青々と」重ねて使うことができるのも,この4色だけですね。
このように「赤」「青」「白」「黒」の4色の使い方が豊かなのは,それ以外の色を表す言葉がなかったこと,それ故に当時の人々がこの4色を巧みに使って表現していたと考えることができるわけです。
ところで,平安時代中期に書かれたと言われている清少納言の「枕草子」は,「春は,あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは,すこしあかりて,紫だちたる雲の,細くたなびきたる。」で始まりますが,「白く」の使い方は,夜が明けてだんだん山際の空の色が白くなっていくことと,その風景がはっきりしてきたことを表しています。また,「あかりて」は明るくなってという意味の他に,赤味みを帯びてと考えることで,紫がかった雲の色につながっていると読み解くことができます。
こうしてみると,平安時代には,今の私たちが認識している色と同じように使われ出しているみたいですね。